日本ゴルフ協会(JGA)が4月15日、新たに日本ゴルフ殿堂入りする顕彰者4人を発表しました。
その「貢献部門」に、幕末生まれの人の名前がありました。
現在の群馬県桐生市黒保根町にあたる旧水沼村出身の新井領一郎(1855~1939年)です。
いったい、どんな人物だったのでしょうか。

新井領一郎(右)と兄の星野長太郎
桐生市ホームページによると、新井は江戸末期の1855年、水沼村の豪農・星野弥平の六男として生まれました。
12歳で生糸商の新井家の養子に入り、その後は英学校や東京開成学校(現在の東京大学)で学ぶなど、勉強熱心な少年でした。
日米をつなぐ存在に
1876(明治9)年に製糸業を営む兄・星野長太郎の命を受け、単身アメリカへ渡ります。
現地で生糸の販路を開拓し、直接取引を実現させました。
その活躍はアメリカ絹業協会の役員に選ばれるほどで、日米の絹産業をつなぐ重要な存在になっていきました。
渡米前には、初代群馬県令(現在で言う県知事)・楫取素彦(かとり・もとひこ)が背中を押してくれました。
楫取の妻・寿(ひさ)は、幕末に活躍した思想家・吉田松陰の妹です。

前橋公園に建てられている銅像(右が新井領一郎)
初めてプレーした日本人
寿は、太平洋を渡ることを夢見ていた兄の思いを込めて、松陰の形見の短刀を新井に手渡したと伝わっています。
前橋市の前橋公園にはその感動的な場面を表現した顕彰碑が建てられています。
日本ゴルフ協会によると、新井は1902年に米国で初めてゴルフをした日本人と推測され、現地で日本人にゴルフの面白さを説き、仲間を増やしたとのことです。
生糸貿易で世界を舞台に活躍しながら、スポーツ文化の紹介にも貢献した、群馬が誇る国際人です。
