甲子園35年ぶり出場! 佐野市の「青藍泰斗高校」校名、校歌、ユニフォームでも話題沸騰中です



佐野市
甲子園出場を決めて喜ぶ青藍泰斗の選手たち=7月27日(下野新聞)

第107回全国高校野球選手権栃木大会で青藍泰斗高校が35年ぶり2度目の優勝を果たし、夏の甲子園出場を決めました。地元の栃木県佐野市では久々の快挙に沸いています。全国的には、その特徴的な校名や現代風の校歌、青色のユニフォームが早くも話題に。一躍、この夏の甲子園の「注目校」となっています。

青藍泰斗高校の旧校名は?

青藍泰斗高校は栃木県佐野市の葛生くずう地区(旧葛生町)にある私立校です。

歴史は意外にも古く、明治41年(1908年)に「葛生学館」として創立。昭和23年(1948年)には、現在の大人世代にとってなじみがある「葛生高校」の名称になりました。

地名にもとづいた校名から、字面も音の響きも斬新な「青藍泰斗高校」の現校名になったのは平成17年(2005年)。

「青藍」は故事成語の「青は藍より出でて藍より青し」(弟子が先生よりも優れた人になることのたとえ)から。

「泰斗」は、中国で聖なる山とされる「泰山」や星の中心として仰がれる「北斗」に由来し、学問・芸術の分野で尊敬される人を指している言葉です。

その2つのワードに「生徒を親や教師を超える存在、その道でなくてはならない存在に育てる」という学校の理念が込められています。

出典:青藍泰斗高校ホームページ(http://www.seirantaito.ed.jp/

青藍泰斗高校の校歌を作ったのは?

高校野球栃木大会では、勝ち上がるたびに選手たちが歌う校歌の歌詞も大きな話題を集めました。

2005年の青藍泰斗高校への校名変更に伴い、校歌も一新。近隣の栃木県足利市出身、売野雅勇さんが作詞しました。

売野さんといえば、中森明菜さんの「少女A」、チェッカーズの「涙のリクエスト」などの大ヒット曲を連発した超有名作詞家です。作曲も、売野さんとの名コンビで知られる芹澤廣明さんが担いました。

校歌は「美しいものを探しながら生きよう」の言葉で始まり、校歌らしくないポップなメロディーに乗って「今日というこの日が 未来の最初の一日」「愛にあふれる人であれ 挑みつづける人であれ」など印象的なフレーズが繰り返されます。

甲子園でも勝って、この校歌を全国に響かせることができるのか。楽しみなところです。

出典:青藍泰斗高校ホームページ(http://www.seirantaito.ed.jp/

青藍泰斗高校はいつから青ユニ?

そして、なんといっても見る人の注目を集めたのが、上下が濃い青色のユニフォーム。白の縦じまが入り、胸には「青藍泰斗」の文字が大きく躍っています。

この印象的なユニフォームに新調したのは2024年秋の大会から。それまでは、白地のユニフォームに青色の帽子やアンダーウェアを組み合わせていました。

日本高校野球連盟の規定(高校野球用具の使用制限)では、ユニフォームについて「シャツとパンツは同一カラーでなければならない」などと定められていますが、生地の色そのものを指定する項目はありません。

白色が圧倒的に多い高校野球界にあって、ひときわ目立つ青藍泰斗高校のユニフォーム。SNS上では「カッコよすぎる」「プロ野球の限定ユニフォームっぽい」などと、おおむね好評な意見を集めています。

青藍泰斗高校はどんなチーム?

青藍泰斗高校が夏の県大会を優勝し、甲子園に出場するのは35年ぶり2度目となります。

前回1990年は旧校名の葛生高校での出場。山陽高校(広島)に勝利目前で敗れ、甲子園初勝利はなりませんでした。

27歳の青山尚緯監督が率いる今年のチームは、1年生の秋からキャプテンを務める佐川秀真遊撃手を中心に、投打のバランスが取れています。

登録メンバーでは、中心打者の白土秀哉一塁手が地元・佐野市出身。県内では栃木市、宇都宮市など、県外では埼玉、東京、神奈川などから集まっていて、青山監督は群馬県の桐生市立商業高校、関東学園大学の出身です。

栃木県南部から夏の甲子園に出場するのは、2022年の國學院栃木高校以来。佐野市からは2010年の佐野日大高校以来です。

優勝候補の作新学院高校を破った県大会同様、臆することなく「青色旋風」を巻き起こしてほしいですね。


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