栃木県小山市の御殿広場などで定期的に開催され、家族連れから絶大な支持を集めているマルシェがあります。その名も「ピクニックマルシェ」。実行委員長にして生みの親でもある小林千恵さんに、ここまでの歩みやこれからについてお聞きしました。
まちなかに親子連れの笑顔
ピクニックマルシェが初めて開かれたのは2019年6月のこと。会場となった小山市役所隣の御殿広場には、テントを張ったりシートを広げたりして、思い思いにくつろぐ親子の姿がありました。
「いつか御殿広場でマルシェを開きたいと思っていました。たくさんの人が来てくれて、涙が出るくらいうれしかったです」。
友人たちと実行委員会を立ち上げ、40店舗近くの出店者を集めた第1回。午前中のうちに完売する店もあるほどの盛況ぶりでした。
それから4年あまり。白鴎大学の地域協力ボランティア同好会「UN-UNI」のメンバーや共感する仲間たちのサポートを得て、活動を広げてきました。
「裏で支えてくれる人たちがいるから、私が自由で動くことができる。自慢のスーパースタッフには感謝感謝です」
いまや「ピクニックマルシェ」といえば、小山市周辺の子育て世代にとって欠かせないイベントとして定着しています。
忘れられない原体験
小林さんの出身は茨城県古河市(旧三和町)。2004年に小山市内の結婚式場に就職し、ウエディングプランナーとしての仕事が始まりました。
イベントとの関わりが生まれたのも、ここからです。ただ、その時の印象は今とはまったく逆でした。
「ブライダルフェアの企画運営を任されたのですが、やらされているというか、苦痛だったんです」。
仕事上、どうしても結婚式の成約につなげることが目的となります。「契約を取らないと」。そうした思いが強く、フェアの運営で精一杯の状態でした。
どうしたら、イベントに関わることが楽しくなるのだろうか。そのヒントが見つかればと、友人と4、5店のお店を出し合って、マルシェを開いてみることにしました。
まだ「マルシェ」という言葉が一般的ではなかった時代です。SNSもありません。チラシを手作りし、友人や知り合いに電話をして、50人ほどの人が集まってくれました。
いつも相手にしているブライダルフェアの人出には、遠く及ばない人数です。でもその分、ひとりひとりのお客さんと対面で話をしたり反応を見たりする、心のゆとりがありました。
「目の前のお客さんが喜んでいる様子をダイレクトに感じられました。お客さんの笑顔って、こんなにうれしいんだと気づいたんです」
それからは、ブライダルフェアの運営も楽しめるようになったといいます。
娘が書いた「わたしの小山自慢」
もうひとつの大きな転機は2017年、JR小山駅西口近くのまちの駅「思季彩館(しきさいかん)」の店長になったことでした。
転職した会社が思季彩館を運営していたことから店長に抜擢されたものの、昔ながらの外観もあってか、お客さんは高齢者の方がほとんど。「待っているだけではお客さんは来ない、そんな状況がしばらく続きました」。
私生活での悩みも重なった時期でした。「お給料さえもらえればいいや」。そんな気持ちになりかけた時期もあったといいます。
そんな頃、当時小学5年生だった娘が学校の課題で「わたしの小山自慢」をテーマにした作文を書いてきました。
「私の自慢は、お母さんが思季彩館で働いていることです。お母さんが教えてくれた、小山のおいしいものを友だちにたくさん伝えることができます」
その文章を見て、心にスイッチが入ったのが分かりました。思季彩館で売っている商品はすべて自分で試して、本心からお薦めするようになると、お客さんの反応も変わっていきました。
当時は、駅周辺に子育て世代が住むマンションが増え始めていました。まちなかに、親子連れが来たいと思える場所が少ないのではないか-。そうした思いもあって、思季彩館を会場にピクニックマルシェの前身「しきマルシェ」を2017年に立ち上げました。
「その頃から、開放的で素晴らしい御殿広場でマルシェをやりたかったのですが、まだ市役所からの信用もなくて。まずは思季彩館で2年間、しっかりとマルシェを続けていくことにしました」
それからは当日が雨になっても雪になっても、月2回ペースで開催を続けました。しだいに協力してくれる人の輪も広がり、念願だった御殿広場でのマルシェがついに実現しました。
イベントで生活していくということ
下野市内の人気のアグリツーリズム施設「吉田村VILLAGE」での勤務を経て、小林さんは2023年に大きな決断を下しました。
イベントの企画・運営を担う個人事業主としての独立です。2023年には早速、53本のイベントに携わり、宇都宮市のインターパークでのイベントなど、小山市外からの依頼も増えてきました。
苦手意識からのスタートでしたが、今では何よりも大好きなイベント。最初に就職した結婚式場から現在まで、20年間で築いた人のつながりが支えです。
「イベントを開くことは誰でもできる。でも、続けることは誰にでもはできない。そこが私の強みだと思ってやってきました」
運営を手伝ってくれる若い世代のためにも「イベント業を仕事として成立させたい」との覚悟もあります。次世代にバトンタッチできる環境を作ることも、モチベーションのひとつです。
まだ43歳と働き盛りの年齢ですが、「頑張るのはあと2年かな。それからは、駄菓子屋さんのおばちゃんになりたいです。あと、スナックもやりたい」。なぜかといえば、「究極の接客業」だから。人と接することからは生涯、離れるつもりはありません。
新たな一歩は県境を越えて
現在は、定期的に開催するピクニックマルシェなどのイベントのほか、栃木・茨城・群馬3県の県境をまたいだイベントを開催する計画も進めています。
故郷である古河市を盛り上げたいとの思いも芽生えています。「積極的には関わってこなかったのですが、イベントを仕事にするようになり、自分のできることで恩返しをしたいという思いが強くなってきました」
小林さんは「私だって何年か前までは普通の主婦でした」といいます。仕事が楽しくない時期も、小山市は「住みやすいけど楽しくはない」と思っていた時期もありました。
それでも、何かひとつ行動することで見える景色が変わってきました。まちなかの通りに若い世代の人の流れができつつある-。そうしたことにも、喜びを感じるといいます。
「自分から一歩踏み出せば、景色が変わるし、世界が変わる。自分がそうだったから、小山に住む同年代の方たちにも、そう伝えたいです」